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ROMA ローマ

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劇場公開日:2019年3月9日

解説・あらすじ

「ゼロ・グラビティ」のアルフォンソ・キュアロン監督が、政治的混乱に揺れる1970年代メキシコを舞台に、とある中産階級の家庭に訪れる激動の1年を、若い家政婦の視点から描いたNetflixオリジナルのヒューマンドラマ。キュアロン監督が脚本・撮影も手がけ、自身の幼少期の体験を交えながら、心揺さぶる家族の愛の物語を美しいモノクロ映像で紡ぎ出した。70年代初頭のメキシコシティ。医者の夫アントニオと妻ソフィア、彼らの4人の子どもたちと祖母が暮らす中産階級の家で家政婦として働く若い女性クレオは、子どもたちの世話や家事に追われる日々を送っていた。そんな中、クレオは同僚の恋人の従兄弟である青年フェルミンと恋に落ちる。一方、アントニオは長期の海外出張へ行くことになり……。2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、最高賞にあたる金獅子賞を受賞。第91回アカデミー賞でも作品賞を含む同年度最多タイの10部門でノミネートされ、外国語映画賞、監督賞、撮影賞を受賞した。Netflixで18年12月14日から配信。日本では19年3月9日から劇場公開される。

2018年製作/135分/R15+/メキシコ・アメリカ合作
原題または英題:Roma
劇場公開日:2019年3月9日

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第91回 アカデミー賞(2019年)

受賞

監督賞 アルフォンソ・キュアロン
撮影賞 アルフォンソ・キュアロン
外国語映画賞

ノミネート

作品賞
助演女優賞 マリーナ・デ・タビラ
主演女優賞 ヤリッツァ・アパリシオ
脚本賞 アルフォンソ・キュアロン
美術賞
音響編集賞
録音賞

第76回 ゴールデングローブ賞(2019年)

受賞

最優秀監督賞 アルフォンソ・キュアロン
最優秀外国語映画賞

ノミネート

最優秀脚本賞 アルフォンソ・キュアロン
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映画レビュー

4.0 主人公になれない世界で生きるために。

2025年2月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
ネタバレ! クリックして本文を読む

〇作品全体
主人公・クレオは本作の主人公でありながら、作中の世界で主人公ではない。使用人として働く家で人生の大半を費やし、放っておかれた飼い犬のような存在として生きている。男女の関係になった男からも、関係性になんの山場もなく、情もなく捨てられてしまう。
クレオは誰かとの関係性において主導権を握ることはなく、自分を主張することはない。「ただの使用人」として、「ただの性のはけ口」として存在している。そうしないと自分が存在できないということを、今までの経験から悟っているのだ。
土地を奪われて悲しむ母のもとへ行ってはどうか、と使用人仲間から言われても、あっさりと「この体で行ってもなにもしてあげられないわ」と返す。クレオはきっと、妊娠していなくても同じようなことを口にしていただろう。「なにもできない」と。

クレオは自分が望む場所に留まることはできないし、誰かに役割を押し付けられて生きる、という状況を黙って飲み込んでしまっている。この世界で主人公になれないことへ抗うことを諦め、下を向いて生きているのだ。
物語が進むにつれてそのことを理解したとき、モノクロの画面と演出がクレオの心象風景と絶妙に合致するものだと気づいて、膝を打った。

クレオが過ごす街には元々色味が少なそうだけど、モノクロが作る一番のインパクトは「空の無感情さ」だと思う。たとえ汚い街に住んでいても、くすんでいたとしても、空には青色がある。序盤で洗濯物を干す場面があるが、画面いっぱいに晴れた空を映しているにもかかわらず、この作品では灰色だ。ボーイフレンドを追った先にあるグラウンドの空も、飛行機が飛んでいるのがよく見える空でありながら、感情のないモノクロが覆っている。クレオにとって自分が望んで訪れたわけではない、ということをモノクロの画面が強烈に語り続ける。
そう、モノクロの画面は「語り続ける」のだ。劇的な絶望や衝撃的な悲しみがあるのではなく、クレオには常時うんざりするような世界が存在し続けている。ヒステリックに拒否反応を示したり、自己主張をしてもいい場面はたくさんあるのに、それをせずにじっとしているクレオは、別に無感情になったわけではない。「空の無感情さ」は、一方で「息苦しい世界で生きること」という心の痛みをクレオへ注ぎ続けているのだ。それがとても鈍重な悲しみを伝えてくる。

使用人という役割を脱ぎ捨てるように、唐突に「本当は産みたくなかった」と涙するクレオと、その後に映す空の演出も素晴らしかった。
強い波に逆行して進むという、クレオに感情をさらけ出させるための潤滑剤のような演出を丁寧に重ねて、心から零れ落ちたかのように言葉を紡ぐのが、また良い。母親という役割まで担ってしまっていたらクレオの生活は崩壊するだろう、ということをほのかに感じる中で、自分を表現しないクレオがようやく吐露させる本音。悲しみと安堵の入り混じったような涙が心に刺さる。クレオは無感情な脇役ではなく、その世界を生きる一人の女性だということを強く感じさせた。
帰りの車窓から眺める空も絶妙な塩梅だった。カラリと晴れてるのではなく、いくつかの光が注いでいるだけ。今がクレオにとっての目的地ではなく、これからがあることを強く訴えるような空だった。

主人公ではない世界に覆われた、モノクロという殻。とても分厚く、まだ少し日が差し込んだだけだけど、クレオの中でなにかが変わるかもしれない。そんな予兆の加減がとても優しくて、そして力強い主張のように感じた。

〇カメラワークとか
・空の見せ方はとても凝ってた。ファーストカットの水に映る空はキレイに映る瞬間はほとんどない。水面に揺れたり、泡で覆われたりする。水に映った空、とするところも巧い。クレオは虚構の空しか見ることができないという、本物の空がはるか遠くにあるような感覚。
ラストカットの中庭から映す空の狭さも良い。この狭さも、クレオの「これから」を予兆させる。本来は狭い空ってネガティブなイメージだけど、本作のラスト、と考えるととても前向きに感じるのが面白い。

◯その他
・犬が多く登場する。ほぼすべての犬が放し飼いにされている。自由奔放な生き方のように見えて、付随物のようにほったらかしにされているような存在に感じた。犬はあくまでも番犬で、愛玩用で、家族ではない。クレオの存在と似たような縁取りがされていた。

・まわりの人は目を瞑っての片足立ちができないのに、それを難なくこなしてしまうクレオ。誰にも見えない、いや見ようとしないところに個性をのぞかせるような演出が巧い。クレオという女性は、男を静かに待っている記号的な女ではなくて、得意不得意の個性がある。

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4.5 時と場所の垣根を超える、モノクロゆえの親密さ

2019年4月29日
iPhoneアプリから投稿

ああ、いいもの観たー、と久々にしみじみと思った。その一方で、この素晴らしさは、言葉にするのは難しいな…とも。けれども、やっぱり自分なりに心に留めておきたいので、敢えて言葉にしてみようと思う。こぼれ落ちないように、余計なものを足さないように。
「天国の口、終わりの楽園。」に出会って以来、アルフォンソ・キュアロン監督について行こうと決めた。だから、当時距離を置いていたハリー・ポッターシリーズも「アズカバンの囚人」だけは、いそいそわくわくと足を運び、今も子らに推している。 そんなキュアロン監督の新作を、映画館で観ることができる。席に着いただけで、すでに満足感があった。
冒頭のクレジットの背景で、白地に点在する黒いものが取り除かれ、何度も洗い流される。これは何だろう…と、じーっと観ているうちに物語は幕を開ける。少しすると冒頭の種明かしになり、凝視していた分気恥ずかしくなるのだけれど、それはいっときの話だ。
家政婦として働く、あどけなさが残るヒロイン・クレオは殆どしゃべらないし、情感を盛り上げる音楽も流れない。掃除に洗濯、料理に子守を求められるままに黙々と片付ける。彼女の思わぬ妊娠から出産を横糸に、挟み込まれる暴力的な内乱を縦糸に、淡々と物語は進む。彼女が寡黙な分、働いている家の中でのいさかいや、街の喧騒が耳に刺さる。
分かりやすい事件は起きず、彼らの日常にいきなり放り込まれた感覚が強い。初めは少々面喰らう。けれども、モノクロの画面に向き合っているうちに、いつの間にか、彼らと共に過ごしているような気持ちになっていく。
物語になじみ、気を許して身を委ねていると、終盤でふたつの大きな揺らぎが現れる。人の限界を突きつける一度めと、自然が牙をむく二度め。彼らを容易く呑み込もうとする画面いっぱいの波に圧倒されながらも、まばたきを惜しんで見つめずにはいられない。モノクロゆえに、泡立つ波の白さ、砂のざらつきや体温が生々しく想起される。身を寄せ合う彼らの輪に自分も加わっているような、不思議な親密さに包まれて、胸が熱くなった。
夢から覚めるように、物語は終わりを迎えてしまう。けれども今も、私の一部は、時と場所を超えて彼らとともに生きている。同時に、彼らがひっそりと私に寄り添ってくれている。(特に、クレオのように荒れた部屋を片付けているとき、汚れものをきれいにしているとき、洗濯を干しているとき、彼女と繋がっていると思える。)そんな得難い感覚を日常に与えてくれる、かけがえのない作品だ。

追記: モノクロ、区切られた空間の中の移動という骨組みは共通しているけれど、物語は対照的な「ヴァンダの部屋」との二本立て、体力が許すならば観てみたい。

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4.5 不吉な予兆を追いかけて。

2019年3月27日
PCから投稿

知的

ネタバレ! クリックして本文を読む

気がついたら四回観てしまっていたが、繰り返し観たことでわかったことと、いまだにわからないことがある。

まるでどこかの家の日常を覗き見ているような映画だが、実はものすごく計算されて作られている。顕著なのが「子を失う」という展開を予見させる前振りの数々。例えばクレオが妊娠を雇い主に告げる時、幼いペペが泣いているクレオに気付く。雇い主(ペペの母親)が「クレオはお腹が痛いの」とその場しのぎの嘘をつくと、優しいペペは「痛いの飛んでけ」とクレオ気遣う。そしてクレオに宿った厄介ごと=子供は、死産という形で飛んで行ってしまうのだ。

不吉の予兆は他にもいくつもある。大晦日のパーティーで祝いの盃が割れるのがわかりやすいが、その直前に家政婦仲間が「子取り鬼でもくるっていうの?」と冗談を言う。しかし子取り鬼は来るのだ。クレオの子供を奪いに。本作の脚本は実に隠喩に満ちている。

わからないままのは、幼いペペが何者なのか?という疑問。ペペがたまに口にする「大きかった時の自分」の話は、いちいち予言的なのだ。ペペにはどこか異界と繋がっているような佇まいがある。一体キュアロンの真意はどこにあるのか? 掘れば掘るほど迷い込むのも、本作の魅力だと感じている。

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5.0 画面を支配する"グレーのグラデーション"

2019年3月18日
PCから投稿

悲しい

知的

広い邸宅のリビングからキッチン、階段を上った先にある個々の部屋、洗濯物を干すベランダ。ゆったりと動くカメラが映し出すのは、外からの光の案配や、前後の位置関係によって微妙に変化する"グレーのグラデーション"だ。ただ色彩を排除することで色を想像させるのでもなく、モノクロの美しさを単純に探究するのでもなく、これほども豊かな映像表現というものに久しく出会ってない気すらする、撮影監督、アルフォンソ・キュアロンの戦略的カメラワークに思わず惹きつけられる。そして、一人のメキシカン・ネイティブの家政婦の体験をベースに綴られる、廃れゆくブルジョワ家族の儚さと悲しみに心が震える。メキシコの近代史を描きながら、この映画が国籍や人種を越えて人々にアピールするのは、誰の胸にもある懐かしい我が家の記憶を呼び覚ますからだ。時は移り、記憶は薄れ、国家は分断され、国境に壁が建設されても、家族という最小で最強のコミュニティは存在するはず。監督、キュアロンの祈りのメッセージは、今、ストリーミングを通して世界中に伝播中である。映画はあくまで"どう作る"であり、"どう見せる"ではない。筆者はキュアロンの意見に賛同する。

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